祈りと願い
11月の酉の日に、鷲や鳥にちなむ寺社を中心に行われる酉の市は、 江戸時代から続く年末の風物詩だ。露店では幸運を掻き込む「縁起熊手」が 威勢のよい手締めと共に売られ、大勢の人々で賑わう。 熊手職人の橋本誠三さんに、縁起熊手について話を伺った。
──橋本さんは「熊手工房はしもと」の三代目、創業はおよそ100年前だとか。
熊手作りの商売は、実はほとんどが創業時期は分からないんです。というのも今は専業で作っていますが、当時の熊手作りは内職で、本業ではなかったからです。曽祖父は神田でハンコ屋や木版印刷を生業としていました。住まいは台東区三ノ輪で、関東大震災で足立区西新井に移ってきたんです。震災で資料は残ってはいないのですが、おそらくその前後から足立区花畑にある大鷲神社の酉の市などの熊手を内職で手がけたのだと思います。
──江戸時代の縁起熊手も、内職で作られていたのでしょうか。
やはり神社の近くの農民たちの農閑期の内職だったと思います。酉の市の発祥は花畑の大鷲神社です。大鷲神社から始まり、千住の勝専寺、現在最も賑わう浅草の鷲神社……江戸時代に盛大だったのはこの三つだったといいますが、その近辺の農家がお米を収穫した後の藁を使って注連縄を綯(な)い、熊手を作って農閑期の内職としていたのでしょう。
──酉の市は元々、農機具を売る市で、熊手もその一つが縁起物になったとか。農家にとって縁のある市だったのですね。
そうですね。当時の酉の市は旧暦の11月なので、現在の12月頃に当たります。収穫が終わってひと月くらい間がありますから、その間に内職として作ったのでしょう。江戸から大正にかけて、深川など東京の下町にはお金持ちが多かったようで、そういった人たちが綾瀬川を船で上り、花畑の大鷲神社の熊手を買いに来たようです。吉原の大店である大黒楼などとも親交があったようですし、博奕(ばくち)も行われたらしい。酉の市にはそういう楽しみもあったようです。
──熊手についている縁起物である指物にはどんなものがあるのでしょうか。
熊手の基本は、大福帳、今でいう伝票ですね。それから千両箱、鯛、おかめ、七福神、小槌、当り矢、松竹梅などが基本の指物です。現代はさらに芸術的になってきて、桝や宝船などたくさんの縁起物の指物がつきます。
私たち関東の熊手は、爪が全部内側に向いていますが、関西の熊手は爪が外側に向くように、反対側に指物がついているんですよ。また、関東は中央におかめがあることが多いですが、関西は恵比寿天、大黒天が多いですね。
そんな地域の違いはもちろん、時代の変化によって、指物もずいぶん変化しています。塗料も変わりましたし、材料も豊富になりました。鯛も昔は張子で叩き出して膠(にかわ)を塗り、さらに絵の具を塗っていました。七福神は粘土で作ったり、手間もかかるし重かった。現在は飾りも軽くなったので、その分たくさんの種類をつけることができます。
──熊手作りの面白さや苦労はどんなところにありますか。
形がないところから作っていくので、自分で考えて作れるのが職人として面白いところですし、逆に難しくもあります。今年は約7000本の熊手を作りましたが、うちの熊手は同じ種類でも、同じ位置に同じ指物がついているものは一つもないんです。すべてが一点物です。
──選ぶのが楽しみになりますね。熊手は毎年大きい物に買い替えていくのがよいと聞きましたが本当ですか。
それは迷信でしょう。どんどん大きくしていったら大変ですよ。そのうち飾れなくなってしまう。ご自身の飾る場所に合うサイズで、気に入ったものを選べばいいんです。最近は置物といって、柄のついていない、サイドボードの上などに置けるタイプが主流になっています。これも時代の変化ですね。
──酉の市で選ぶだけでなく、中には事前に予約される方もいらっしゃいますか。
毎年酉の市に来てくださる北海道のお客さんがいたんですが、今年は酉の市に行けないので送ってくれという電話が来まして。それでは、倉庫から新しいのを送りますと言ったら怒られましてね。それではダメだと。酉の市で飾った後の物を送ってくれと。私は飾った物より、新しい物の方がよいと思ったのですが、お客さんにとっては違うんですね。きちんと酉の市に飾って手締めをしてからでないと意味がない。それが縁起物というものです。
──熊手に込められた縁起が大事だと。
怖い話もありましてね。とある割烹料理屋さんのために注文で作った大きな熊手があったのですが、その熊手をどうしても欲しいという別のお客さんに、私の友人が売ってしまった……。そうしたら次の年、その熊手を買った人が亡くなってしまったんです。割烹料理屋のご主人は当時重いご病気でしたが、その後三年生きられた。別の人に厄が憑いてしまったのではないかと、友人と話しました。
私も製品に触る時は手を洗うようにしていますし、イライラしているような時は作りません。縁起物というのは思いがこもる品物ですから。
──買う人が掛ける思いが強いですね。
でも自分で酉の市に来て熊手を買ってどうにかしようというお客さんは、一生懸命ですから。商売繁盛したいという人は、一生懸命仕事をするから、自然と繁盛すると思いますよ。熊手は頑張る人の、あと一押しになったり、心の拠りどころになったりする……そういうものなのかもしれません。
《お話を伺った方》 橋本誠三さん
熊手工房はしもと
熊手の製作から販売まで一家で手掛ける。花畑の大鷲神社、浅草の鷲神社、目黒、雑司ヶ谷の大鳥神社、深川の富岡八幡宮、新宿の花園神社、西新井大師、大宮氷川神社等、多くの酉の市で買うことができる。
東京都足立区本木2-7-17